小和田 哲男。 「ゴマすりを見分けよ」藤堂高虎の“含蓄家訓200条”

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小和田 哲男

『戦国史を歩んだ道』シリーズ「自伝」:ミネルヴァ書房、2014年• 『日本の歴史を騒がせたこんなに困った人たち』黄金文庫、2001年• 1972年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。 『歴史探索入門 史跡・文書の新発見』角川選書、• 昔から一番よく言われるのは「怨恨説」、今でいうパワハラに対する恨みです。 光秀も武将として生まれたからには、一度は天下に号令したい。 地域の歴史の象徴である城を、都道府県別に平均45城網羅。 姉妹の1人は夭折しているが、その他の姉妹の2人は戦前の教師育成の高等機関のと卒業である。 だがこの時、光秀の叔父であり、補佐役でもあった明智光安は討ち死にし、光秀は落ち延びた。 『名軍師ありて、名将あり』、2013年• 『誤伝の日本史 歴史常識50の真相を探る』日本文芸社、• 『一冊まるごとの本』ロングセラーズ、1987年• 「戦国大名の領国制 後北条氏研究」で。

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小和田哲男

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小和田恆は卒業後の昭和32年にに入省して、に留学している。 『図説・男の魅力』三笠書房、• 光秀は、信長からもらった茶器で「初釜」 正月の茶の集い をしている。 村上小和田家のルーツは小和田駅がある静岡方面のと推測する人が多いが、小和田家の近い祖先は越後村上5万石のの内藤家の家臣を務める下級武士であった。 例えば、儂が脚本家であれば台本を役者ではなく、まずは小和田殿に見せ、チェックをした小和田殿が「信長はこのようなことをしていなかった」とか「この者はまだこの時代には生まれていない」などと申すのだな。 「応援に行け」ということは、要するに秀吉の命令下に入れということです。 2011年には研究会の会長となる(前任は)。 大河ドラマ『麒麟がくる』の時代考証を担当。

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「本能寺の変」の質問にも答えるよ。LINEのチャットボット「明智光秀AI」リリース。「麒麟がくる」時代考証・小和田哲男が監修

小和田 哲男

『いざ城へ 厳選50名城と城下町歩き』 トラベルMOOK ジパング倶楽部 2015• では、十年もの間、何をしていたのか。 『 小和田哲男著作集』清文堂出版、-• 『賢妻・千代の理由』、• 一向一揆との戦いはあったにせよ、他国から攻められることも少なく、越前は当時、比較的安穏な地域だったといえる。 「名古屋おもてなし武将隊」は名古屋城にて観光客をもてなす武将と足軽の10人組である。 というのは、粟田口で磔になっているので、周りの人からも見られているはずなのです。 また、間に入った光秀のメンツが丸つぶれになるようなこともあり、これが引き金になったという説が、今は結構有力視されてきました。 『日本史50の大逆転』三笠書房知的生きかた文庫、• 『日本史小百科 27 武将』近藤出版社、1990年• 『戦国大名』、• 金吉は熊倉竹野と結婚して長男の毅夫をもうけた。

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小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第4回【斎藤道三と光秀の関係とは】|城田涼子|note

小和田 哲男

『これで面白くなる! 戦国史研究の第一人者として、NHK大河ドラマの時代考証なども手がける。 ブクログユーザが本棚登録している件数が多い順で並んでいます。 『これで面白くなる! 専門は日本中世史、特に戦国時代史。 『国際情報人信長』集英社、1991年• 息子のも歴史学者。 『歴史おもしろかくれ話』三笠書房知的生きかた文庫• 『戦国合戦事典 応仁の乱から大坂夏の陣まで』三省堂、1984年のちPHP文庫• 『日本史を動かした名言:その「名場面」を読み解く』青春出版社、• 錦絵「本能寺焼討之図」楊斎延一画 (名古屋市所蔵) 私は「本能寺の変」の半年前、天正一〇年の年明けまで、光秀には謀反を起こす気はなかったと見ている。

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小和田哲男

小和田 哲男

4 争乱の地域史 西遠江を中心に• 基本的には同時代からの資料を参考にしている。 『天下人に学ぶ逆転勝利の戦略:信長・秀吉・家康戦国リーダーの負け戦』、 2009年• 『駿河今川氏十代 戦国大名への発展の軌跡』戎光祥出版 中世武士選書 2015• 『3時間で頭に入る日本の歴史』三笠書房、2002年• 主な藩校一覧付き。 『黒田如水:臣下百姓の罰恐るべし』ミネルヴァ書房:、2012年• 『お江:戦国の姫から徳川の妻へ』、2010年• 『戦国大名と読書』柏書房、2014年• 私が史実とみているのは、時宗の称念寺(現在の福井県坂井市丸岡町長崎)の門前に十年住んだ、という記録だ。 『桶狭間の戦い 信長会心の奇襲作戦』学習研究社、1989年、のち文庫• 小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第1回【明智光秀とは何者か】 要旨 (1)1次史料にみる明智光秀の正体 ・明智光秀に関する史料は少ない。 。 しかし、光秀はそういう芸当ができなかった。 それでは小和田殿、お願い申す。

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明智光秀、美濃を追われ、越前で過ごした「謎の十年間」

小和田 哲男

お知らせ: このインターネット番組表は各チャンネルの1週間先までの番組表がご覧になれます。 教育学部長、附属図書館長を務め、3月定年退任、名誉教授。 『山内一豊のすべて』新人物往来社、2005年• 静岡大学教育学部教授を経て、現在、同大学名誉教授。 すべての城郭について所在地・主な城主・どんな遺構(天守・櫓・石垣・堀など)が見られるのかわかります。 それに加え、越前の戦国大名・朝倉氏と美濃の守護だった土岐氏は姻戚関係である。 ともあれ、屋敷の場所、待遇など、史料的に裏づけられない点は多いが、光秀がやがて朝倉氏に仕えたことは確かであろう。

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「ゴマすりを見分けよ」藤堂高虎の“含蓄家訓200条”

小和田 哲男

著書に『明智光秀と本能寺の変』『明智光秀・秀満』など、近著に『戦国名将の本質 明智光秀謀反の真相に見るリーダーの条件』がある。 大河ドラマ『麒麟がくる』の時代考証を担当。 『豊臣秀次:「殺生関白」の悲劇』PHP新書、2002年• (榛村純一)『戦国武将夫妻のパートナーシップ 山内一豊と千代夫人にみる』清文社、2000年• 『戦国大名一〇六家最強の系図』新人物往来社、2009年• 1 今川氏の研究• 5 中世の伊豆国• 『戦国武将の手紙を読む:浮かびあがる人間模様』、2010年• 『黒田官兵衛:智謀の戦国軍師』、2013年• もう少しお待ちください。 主人の難にあらずや。 『豊臣秀次:「殺生関白」の悲劇』PHP新書、2002年• 【内容情報】(「BOOK」データベースより) 2252城の遺構(天守・櫓・石垣・堀など)が一目でわかる。 『参謀・補佐役・秘書役 強い組織を支える人間集団の研究』、1992年• これから自分は光秀を討ちに行くので、一緒に行かないか」というふうに書いていて、「切り抜けて無事」というのは嘘です。 『山内一豊:負け組からの立身出世学』PHP新書、2005年• 10年少し前によく言われていたのは、いわゆる朝廷などの「黒幕説」。

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